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内観体験記 内観療法 離人症2 |
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しかし、その症状だけではなく、強迫観念など、さまざまな辛い症状に悩まれ、長年にわたって繰り返される事もあります。
再発するのではないか、という不安に陥るといいます。
内観をすると、今の症状だけにアプローチするのではなく、根治療法として心の奥底から「生かされている」という思いが湧きます。
すると、人を信じることができ、空虚感がなくなります。
人の温かな思いを「受け取ること」ができると、次第に自分を取り戻せるようになるようです。 |
離人症が治った! |
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このページに登場する、離人症から完治した20代の男性は、長年の闘病を手記にまとめした。彼は、離人症に苦しんでいる人達の参考になれば、と言葉を添えて、その手記を手渡してくださいました。そのの中から抜粋します。
……………………………………………………………………………………… 長年、私は離人症という症状に悩まされていた。小学校3年生の頃から、年々強くなった。この症状は「意識が強すぎて、見たものを見たまんま感じられない」というものだと、私は理解している。
寂しいときもあった。 身の回りの世話は、祖父が寝食を共にし、してくれた。
私は、子どもなりに考えた。 勉強やスポーツに励み、成績を良くして、両親を振り向かせよう、見返してやろうとエネルギーを燃やした。
成績は急上昇したが、心からの満足感はなかった。 しかし、学生の自分には都合の良いことであった。結果だけは、良かったからである。
中学3年生の5月に突然、「いやだな」と感じた。それまで意識という力で力強く引っ張ってきた糸が切れたときだった。 両親を見返すための負のエネルギーが原動力で、心の底から文武に励もうというのではなかったため、心も体も拒否反応を示したのだ。 しかし、その当時はなぜだかわからない。「おかしい」という気持ちで一杯だった。
それ以外の症状も出始めた。 畳にダニがいると思い込み、ぐっすり眠れなくなった。 畳屋さんに調べてもらった。もちろんダニはいない。見かねた祖父は、畳を新調してくれた。 この問題は表面的には解決した。が、その後あらゆることが気になりだした。 予期不安である。
高校2年生、大好きだったスポーツを神経症のため休部せざるをえなかった。病院に、行った。
神経科に通院。強迫神経症と診断され、精神安定剤や睡眠剤を処方され心理カウンセリングの治療もはじまった。 不思議なことに、私は神経科に通う恥ずかしさや嫌悪感はなかった。 むしろ、心理士の先生と話すことが楽しかった。
この時代は、まだ、自分に何が起こっているのか、何が原因だったのか何もわからないままにカウンセリングを受けていた。4ヶ月ほどで、治療は終わった。自分の中で、再発の心配が残った。
☆順風満帆の優秀社員からニートへ転落 高校卒業後、大手企業に入社。仕事は、順調だった。
入社4年目、会社内外で高い評価を受け、異例の抜擢を受けた人事異動があった。 が、どうしてもここの仕事になじめなかった。 それまで出社することが楽しかったのに、私のモチベーションは急速にトーンダウンしてしまった。
気分が重い。 休憩時間には、屋上へあがってぼんやり空を見つめる日々が続いた。 仕事に身が入らない、というより心身共に、仕事に拒否反応が出ていた。 今から考えると、たまたまうまくいっていただけであって、こうなるのは必然だった。
結局、異動してわずか3ヶ月で私は退職を決意し、辞めた。 ☆ニートになってしまった私 最初の一週間は、仕事を見つけるために精力的に動いたが、一週間後からは何もしないで家でゴロゴロするようになった。 辛い。 昼夜逆転、うつ症状の始まりだった。 その頃、激しい拒食と過食を繰り返していた。 どうしていいのかわからなかった。ときどき泣きじゃくった。
私を見かねた友人が、バイトに誘ってくれた。 アルバイト云々よりも、彼と一緒にいられる安心感があった。 彼はプラス思考の人間で、私は少しずつ明るさを取り戻していった。バイトは安定し、最悪の状態から一時的に抜け出すことができた。
☆神経症のため、1年5ヶ月の入院
その後、バイトを辞め、別の仕事にチャレンジしたが再び激しい症状と被害妄想がおこり、通常の生活が困難になった。 入院することになった。
内観療法と森田療法という2つの東洋的心理療法を軸に治療している病院だった。 まず、取り組んだのが森田療法。 確認恐怖症、不安神経症、私の予期不安、とらわれから解放されたい一心だった。 ここで、行動してとにかくやってみることの大切さを教わった。
☆うすらいでいく、再発の不安
私は、北陸内観研修所で内観を受けた。
内観中、心を打たれる女性の体験談の録音を聞いた。
彼女は、お母さんがアルコール依存症だった。幼いとき、母親がアル中の症状がひどく食事を作ってくれなかった、などと母親に対する悪いイメージが強く、母親から世話になったことを全く思い出せない。
内観し、彼女は気付いた。 「私のお母さんは、病気だった。病気であるにもかかわらず、(その病体を押して)私が食べる食事を作ってくれていた」 彼女は、酔っぱらっていない、自分の理想の母親から世話になったことを探していたのだ。だから「何もしてもらっていない」という気持ちだった。
内観によって、一つのハードルを越えた。すると、堰を切ったように、世話になったことが出てきたそうだ。
起こっている出来事は同じでも、それを受け止める自分の心によって、事態(自分の中でのイメージ)は、良くも悪くもなる。 要は、すべて自分自身の(周りを受け止める)心の問題だ。
だから、内観には自分が迷惑をかけたられたことという4番目の質問はない。 自分の責任の部分を見つめていく。それが一番大切だという考え方だからだ。 すると、他人への責任転嫁という気持ちにはならない。 内面からの変革を、自分の姿を客観的に調べることによってできるようになる。
それが内観の目的であり、効果である。
病気が完治しても、このいい状態が続いてくれるだろうかという不安な気持ちのままだった。
しかし、一週間で終わる集中内観ではなく、次のように自分なりの方法でつづけ行動に移さした。 100日つづけると、再発の不安は払拭した。
☆内観の日常化に成功
その日常内観を、私は散歩をしながらすることにした。
集中内観から帰ってきた直後は、父・母から世話になったイメージ(材料)が自分の心の中にたっぷりある。現実的な生活に戻っても、父母との軋轢は生じない。
ところが日にちが経過すると、この気持ちが徐々に薄れてきて、次第にこっちの立場も考えてよといった気持ちが湧いてくる。 私の仕事は父母と共に営んでいる家業なので、一般家庭よりも現実的な問題が多く発生する。
内観は素晴らしいが、継続が大きな課題だった。 そこで私は、散歩をしながら口に出して云う方法を編み出した。
集中内観のおかげで、父母や周囲の人たちに感謝したい材料はいっぱい持っている。 だから、「私は、母に……を感謝します。見守ります」と口に出して云うのである。
……には、具体的な感謝したい過去の出来事を思い浮かべながら云うと、その念が強く湧きやすい。これで、日常内観が毎日、楽にできる。
慣れて、3〜4日連続でさぼった日があった。 すると、たちまちイライラしやすい自分にもどった。自分自身で、そのことに気付いた。 精神の安定には、内観の効果も含まれているのだと再認識し、それから内観をさぼることがなくなった。
散歩のコースには、湾がある。 はじめて、景色を「きれい」と感じた。
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参考になる他のページ |
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