
一念 |
| 宗教色を払拭する前の、内観の全身「身調べ」は、どのようなものであったのでしょうか?
吉本伊信先生が編集に携われた、昭和26年発行『現代人とその宗教』
という冊子の中から「戦争未亡人の立場から」と題した一片を要約して覗いてみましょう。
内観という修行に対して、信仰心を持った方々の熱烈な求道の歩みがこの冊子に書かれています。
当時の吉本先生は商売をしながら内観の布教をしていましはた。
先生も真剣なら、求める人も命がけの内観でした。
以下は、その女性の手記です。
社会の荒波に打ち勝つよう信仰心を持ってほしい!!
私は12才の時、地獄極楽の絵を見てこわいやら悲しいやら不安で涙が出ました。
しかし、ありがたい説法を聞かせて頂いて地獄はないと胸をなで降ろしていたのです。
でも、一抹の不安がありました。
ある日、腹のたつことがあってお寺に行きましたが、納得いく答えをもらえなかったので、吉本先生を訪ねました。
心の不安を取り除いてもらえると思っていたのに
「良いことが多かったか、悪いことが多かったか帰ってから調べておいて下さい。
今度聞かせて頂きます」 としか答えられなかったので、
少し失望していましたが身調べすることを誓いました。
その後、お姉さんが「しっかり反省していますか」と励ましに来て下さいましたので、
子どもに授乳しながら、洗濯しながら、
お台所にいる時も一心に内観をして昭和15年に吉本先生のところへ内観に行きました。
が、子どものことが気にかかり引き止めて頂いたにもかかわらず振り切って帰ってしまいました。
1〜2年すると求道心が薄れ、集会日にも行かないこともありました。
しかし、心の中では死に対しては不安でした。
昭和18年一心不乱に吉本先生のもとで内観をしましたが
駒谷御師匠様(吉本先生の先生)は一目見るや「遠い、遠いダメです」と言われ家に帰り、
夫の胸に泣き崩れました。
その年、突然招集令状がきて、夫は「気になることはお前と子供のことだ。
頼むから社会の荒波に打ち勝つよう信仰心を持ち、内観の道に進んでくれ。
それが自分の一生の願いだ」 と言って出世しました。
生活難に耐え忍び、夫の残された言葉を思い出して求道心に燃え、
「油断するな」ますます本当にそうだと思い返し財欲愛欲自己主義の悪業死が身に迫りました。
昭和21年、無常感が迫り実家の母に言うと
「死んでも御法縁に会うまで帰らないという気持ちで行きなさいよ」と送り出され、
今は最期と思い、子どもに授乳しつつ許して下さいよと謝って出かけました。
さっそく法座に坐らせてもらいました。迫り来る死と罪悪感に恐ろしくてなりませんでした。
十何日目にして、ついに悦ばせてもらいました。
その時の心境は全く口や筆では表現できま せん。
私の一生の間にこんな嬉しく思ったことがありましょうか。
その後、夫の戦死の公報に接しましたが、お陰で取り乱すこともなく、
心静に親子幸せに暮らさせて頂いております。
私はすでに助かったと信じて喜んでおりましたのに、先生から 、
「今、どのように内観して下さっておりますか。今死んだらどこへ行きますか」
とのお手紙にヤレヤレ安心と腰かけていた私は、胸に釘を打たれたようでした。
そして、心を取り戻して内観を続けました。
法を求めて12年間、この大法がなかったら今ごろどんなに苦しんでいたか分かりません。
御仏様の御慈悲を感謝しつつ。ありがとうございました。 |