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内観体験記 日常内観 トラウマ修復 |
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日常内観を継続する |
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内観中に、幼少期のトラウマを思い出すことがあります。 トラウマの傷の深さは、そのエピソードによってさまざまです。 確かなことは、ご本人はそのトラウマによって辛さを抱え込み、生きているということです。
内観でトラウマを癒すには、 まず、援助者との信頼関係を築き、 対峙できるところ(思い出せそうなエピソード)からトラウマと向き合い、 援助者に話す。
という過程があるようです。
話をする中で、内観体験者がトラウマエピソードよりネガティブな自己理解(たとえば親から暴力をうけた。自分が全て悪かったからだなど)を、事実をゆがめて認識していた経緯を、事実そのものに修正し、ポジィティブな意識にするよう援助します。
トラウマ体験を持つヒトは、ネガティブな自己理解をすることが多々あるので、内観本来の目的である「事実をみる」ことが大切なのです。
内観中であれば、内観研修生がトラウマ体験を話されたときに、面接者がトラウマ体験をどのように受けとめるかを確認しながら、研修を進めます。
今回ご紹介する60代の女性は、内観後に帰宅してから自分で修復されました。
その体験から、ご両親に対する愛情を確認し、その愛情がトラウマを思い出させ、対峙し、自身で癒したという構図が見てとれます。
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トラウマ修復 |
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集中内観を終え、1ヶ月が経ちました。 日常内観は、その日の一日を振り返るくらいで、これから深めていきます。
集中内観の最終日、私は風邪でもないのにのどが腫れ、痛みだしました。 帰宅してから、薬を飲み、腫れのための塗り薬をぬってもかえってひどくなりました。私は、これは心理的なココロの問題から生じたのだと思い、集中内観中にわきあがってきた恐怖心のせいだと悟りました。
50年以上前、小学校入学したての頃、私は担任から言葉の暴力をうけました。 私はひらがなが書けなくて劣等感があったのに名前を書けと言われても書くと、その担任からココロの傷を切り開くような、バカにした言い方をされ衝撃をうけました。 担任は、その年の2学期に保護者の苦情で職したほどの強烈な教師でした。
それからです。 「先生」といわれる人に会うと、異常に緊張するのです。
しかし、私はなぜ、「先生」に対し緊張するのか、ずっと分かりませんでした。
内観中に、私はそのトラウマを思い出しました。 人見知りする幼い私に、その教師が何を言ったのか、内観後の今なおボンヤリとしか思い出せません。 でも、今は50年間思い出さなかったことで、自分のココロを自身で守っていたのだと思うのです。
そのトラウマを思い出したのは、私のココロが、もう思い出しても大丈夫と、内観中にサインを出したからです。 たぶん、そのサインは、ヒトの愛情に包まれて癒されたので、幼少期のトラウマが修復される下地になったのを見定めて、出てきたのでしょう。
ココロが、トラウマを受け入れたのです。
私は、内観をして両親のイメージが変わりました。 母親に世話になることが当たり前だと思っていたことが、そうではないことが分かりました。
父親とは、ぎくしゃくした関係を終生続けてきました。 威張っている父親が嫌いでした。 母親にきつい言葉をかける父親が、好きではなかった。
傷ついた母親をみることが、私は忍びませんでした。 しかし、内観をして寡黙な父親からも愛情をもらっていたことを確かめました。
私は、ココロの修養を長年続けています。 そのため、トラウマを自分で癒しました。
幼い私は、「先生」のことばの暴力に無抵抗でした。 傷ついた自分のココロが愛おしかった。 ココロにそっと手を当て、「愛」を注ぎました。
恐怖心を包み込むように……、 母親からの愛情、父親からの愛情、そして内観して感じとった周囲の愛情すべてをその恐怖心に注ぎました。
すると、徐々に腫れがひいて、2週間後回復しました。 芯から良くなったのは、1ヶ月後のつい最近です。
おかげで、「先生」に恐怖を抱かなくなりました。 心身ともにリラックスして、大自然と共に生きるということが、ほんの少し分かるようになりました。
自分を大切にすることを知りました。
1ヶ月半後、田舎に帰ってきました。 高齢の母親とともに亡き父親の墓前に手を合わせてきました。 墓参りのとき、曇り空がさっと切れて日が差し、晴れわたりました。
父の喜びが伝わってくるようでした。
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